5:今回はちょっと長めです。:2012/10/10(水) 18:34:30.07ID:6bSPf8qy0
「ん……」

猫の鳴き声のする目覚まし時計で、ベッドで眠る部屋の主、坂井和奏は目を覚ました。
高校を卒業し、浪人を経て芸術大学、つまるところの音大へ進学した彼女は、親元を離れ一人暮らしをしている。
亡き母の親友でもあり、廃校となった母校の音楽教師でもある高倉先生の助力を得ての結果であった。

もそもそとシーツを押しのけ、寝ころんだままでは届かない位置のモーニングコールを停止させた。
一定時間が経過すると、猫の鳴き声がけたたましくなり、強制的に覚醒を促す仕様になっている。
だがそれは、隣の部屋の住人に騒音がうるさいと怒られたことがあるので、鳴る前に止めることが日課となっていた。

高校時代より落ちてしまった視力を矯正するため、次にメガネをかける。レンズのみの交換で、赤色のフレームは昔のままだった。
そして洗面台に向かい、髪をとかす作業へ移る。そのままブラシを利用し、崩れないように手馴れた手つきでポニーテールを作り上げた。
母がずっとしていた髪型なのだ。逝去してからずっと、鏡を見て忘れないように、とこの髪型にしてきた。
帰省した際に会った父には、どんどん母親に似てきたな、とまで言われている。

「……」

実家に居た頃は、店を経営する父と他愛ない会話や、愛猫のドラと一方通行の会話をして朝食を取っていた。
今は、ただ無言で食卓についているだけ。うっかり押し切られてしまった新聞を読みつつの食事だった。
一面記事だけをさっと目を通し、すぐに古紙回収用の籠へ放る。PACS法の特集など、今の和奏にとっては何の意味もない内容だ。







6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:37:12.14ID:6bSPf8qy0
テレビもない殺風景な部屋。
大学生なら必要だろうと買い与えられた、和奏にはオーバースペックなパソコンが作業机にちょこんと乗っている。
若干アナログ思考な和奏は、パソコンより部屋の大部分を圧迫しているピアノの方が好みであった。

脳に糖分を送った和奏は、その鍵盤楽器へ向かい椅子に腰を掛ける。
そして音が外へ出ないように端子を突きさしてヘッドホンを装着。
大学で作曲専攻の彼女は、寝起きモードから切り替えを行った。
基礎を学び、理論を修めた和奏は、遂に作曲実習をする段階にまで足を踏み入れている。

書きかけの楽譜を見つつ、全体のイメージを作り上げていく。どこをどうして、どうしたいか。
ピアノの音を直接響かせることで、更に音を固める。ここにはクレッシェンドを入れて、あちらにはやっぱり……。
早朝から脳をフル回転させ、音楽記号や演奏記号を五線譜へ書き連ねていく。

「ふー……」

まだ涼しい季節にも関わらず、集中力のせいで汗をかいてしまった和奏はそっと手で額を拭う。
その後ステレオフォンを外して、家を発つ準備を始めた。一限がそろそろ始まる時間なのだ。
大学に近い場所を選んだので、通学時間は十数分程度だ。今からでも、遅刻の心配はいらないだろう。

身支度を整え、玄関を出る。外出時の挨拶は、無人の部屋に言っても意味はない。
和奏は無言のまま、手馴れた手つきで部屋の鍵をかけて出発した。




8:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:41:29.78ID:6bSPf8qy0
キャンパスに入り、番号分けされている学内棟の一つへ足を運ぶ。
自然の多いことが特徴のこの大学は、音楽以外にも美術やデザインを専攻する人たちも多く足を運んでいる。

みなが皆、自分の力を信じ夢に向かって邁進している……というのは、お世辞だ。
どこの大学でも、本気で勉学に取り組むものも居れば、ただちょっと興味があるだけ入学する者もいる。

今日も、学内の芝生の付近で危なげに遊ぶ、学生集団が和奏の視界に入ってきた。
何の為に、大学に来ているのだろうか。あんなに遊びほうけて、将来はどうするのつもりなのか。
理解できない現象を、すぐさま脳内から削除して学舎へと入る。

今日の一限は、声楽レッスン室での講義だ。
実技を重んじる傾向にある音大だが、もちろん理論などもしっかりと勉強をする。
それらすべてを、自分の力として、自分のなりたいモノに一歩でも近づく。そう意識して、和奏は毎日大学へと通っていた。

「坂井さん」

レッスン室を出た時だった。涼しげな高い声が、耳に入る。
それは、知らない声ではなかった。頭のデータフォルダで声の主を検索する前に、和奏は振り返る。

「こんにちは」
「上野さん」




10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:45:31.53ID:6bSPf8qy0
ウェーブのかかった髪をハーフアップにした、物腰の柔らかい女性が和奏の視界に入ってきた。
彼女は上野みどり。同じ高校を卒業した元同級生だ。音楽科に居た頃から面識はあった。

しかし、現在は上野の方が先輩にあたる存在となっている。この大学に、上野は高校卒業後そのまま進学したからである。
だからといって、両者は互いを上下関係で縛ってはいない。今までのように、友達として接しているのだ。

「この後は、三限?」
「うん」
「じゃあ良かったら、一緒にお昼どうかな?」

嫌味さの欠片もない、まさしく清楚なというべき笑顔を上野は向ける。
だが、和奏はその好意を知りつつも素直に受け取らなかった。

「ごめん。最近、忙しくて。昼休みも、作曲に時間を使いたいんだ」
「そうなんだ……」
「また今度ね」
「うん。またね」

手を振り合い、和奏は上野と別れる。
向かう先は作曲ソフトの使える講習室。生の音を重んじる和奏だが、次の移動なども考えると今日はこちらの方が良い。
昼食を取る時間も惜しいので、携帯栄養食を口に入れながら足を進める。講習室内では飲食禁止なのだ。先に済ませなければならない。

扉を開け、機器の前に座る。アプリを起動させ、書きかけの楽譜を見ながら作曲活動を開始した。
音と音を繋ぎ合わせ、曲を作る。
和奏は、高校を卒業する前に一度だけ、作曲活動をしたことがあった。
母の書きかけの曲を完成させること。それをみんなで歌うこと。その一心で作り上げた。




11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:48:03.89ID:6bSPf8qy0
しかし、今は違う。好きなだけではいけない。やりたいだけでは進めない。
自分が選び、自分が望んだ音楽の道。良い曲だったね、だけでは済まされない。評価が、自分の人生に直結するのだから。

「……あっ!」

小さな音でも、独り言をついつい発してしまった和奏は、羞恥心を覚え口元を押さえる。
夢中で音やメロディを探しているうちに、気が付けば次の講義の時間間近だったのだ。
慌てて資料や機材を片付けて、移動を開始する。

その後、彼女は講義を受け、夕方近くになれば帰宅をする。
そして身の回りのことを終えた後、講義内容の復習や作曲活動を再開するのだ。

和奏は、部活動やサークルには参加していない。
落ち着いたら入ろうと思っていたが、日々の忙しさにも追われて、いつの間にか機を逃してしまったのだ。

アルバイトも、特に行ってはいない。時々、大学と提携している単発のアルバイトをするだけ。
社会勉強としての気持ちが大きく、それで生活を支えているわけではない。父からの仕送りを切り盛りしている毎日である。
和奏が、それで専念できるのならば。父は一人娘に優しくそう言ってくれた。

時計の短針が頂上を目指し始めた時間帯。一旦全ての作業を止めて、近所のスーパーへと足を運ぶ。
実家に住んでいる時の経験も活き、既にそんじょそこらの主婦に顔負けしない買い物テクニックを学んでいる和奏。
今日は火曜日だからお肉が100gで100円、卵なら一件先のスーパーの方が10円も安い、など。既に頭に刻まれている。

いつのもように安く質の良い食材を手に入れ帰宅し、いつものように簡単に調理をする。
食器のぶつかり合う音を部屋に響かせつつ胃袋に押し込むと、再び和奏は席へ着く。




12:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:52:40.00ID:6bSPf8qy0
先ほど取り入れた栄養分をすぐさま消費しそうなほど脳を動かし、曲を作っていく。
日付が変わるか変わらないか、大体その辺りになるといい加減に欠伸も出てくる。
どちらかと言えば朝方な和奏は、生理反応に従い身支度をして就寝する。目覚まし時計は早朝の時間帯にセットされた。

「ん……」

朝日が部屋に満ちはじめる時間帯、和奏は目覚める。
夢を見ることもなく熟睡していたが、部屋に響かせるアラーム音を早く止めなければ、という義務感が覚醒を促進させる。

また、いつものような一日が始まる。

それは、本当に充実して、音楽の道を歩んでいるという実感が和奏には確かにあった。
大変だと深く感じたことはない。夢の為に、更に過酷な道を選んで海外に飛んだ親友と比べれば、この程度。

でも、それでも。

少しずつ、何かが溜まっていく。

これでいいのか、このままでいいのか。
自分の選んだ道の、先に何があるのか。

卒業後の進路は、決して引く手数多ではない。
作曲家として、音楽家として、活動できる人間などごく少数だ。
それでも、みんな成りたいからと信じて進んでいる。懸命に勉学に励んでいる。




13:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:56:24.15ID:6bSPf8qy0
だからこそ、不安なのだ。
その競争率の中で、果たして自分は数%の一人になれるのか。

立ち止まれない。進むしかない。
お気楽に遊んでいる連中が下劣に思えるほどに、和奏は愚直だった。

「坂井さん」
「……ああ、上野さん」

その日も講義が終わり、帰宅をする時だった。
夕暮れに染まる坂道を降りていく最中、また聞いたことのある声が背後からかけられる。
変わらぬ笑顔で、そこには上野が居た。

「今から帰り?」
「うん」
「途中まで、一緒に行ってもいいかな?」
「……お好きにどうぞ」
「ありがとう!」

表情を一層明るくさせ、上野は和奏の隣を歩く。
帰宅途中でも、何かふいにアイデアが浮かぶことだってある。和奏にとって、今やすべての時間が音楽と繋がるのだ。
その時間を、他人に邪魔されたことに若干腹を立てていた。




17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 18:59:58.46ID:6bSPf8qy0
「……」
「……」

無言の和奏を見て、何か言いたげに口を開くが声に出ない上野。
それでも、せっかく同じ帰路についているわけだから、近況質問の一つでも。

「坂井さん、作曲の方はどう?」
「まあまあだよ」
「そうなんだ。坂井さん、素敵な曲作れるから、きっと先生達も認めてくれると思うよ」
「……」

根拠はどこにあるのだろう。元気がないと思って励まそうとしているのだろうか。
卒業して別れた、底抜けに明るく真っ直ぐだった友達をどこか連想させる。

「……上野さん」
「なに?」
「上野さん、今年で卒業だよね?」
「うん。順調にいけばね」
「その後は?」
「その後?」
「進路。もう決まってるの?」
「…………ある程度はね」

上野が返答を躊躇したのは、恥じらいからであった。
はにかむように笑いつつ、和奏を見て言う。




18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:04:05.65ID:6bSPf8qy0
「今度ね、コンサートに出るんだ」

聞けば、有名な楽団のピアノ演奏者を任されたらしい。
大きなアピールのチャンスであり、上手くいけばそのまま楽団の一員となることもできるそうだ。

「ピアノの演奏者が私の夢だったから。頑張ってみようと思って」

その笑顔は、和奏にとっては痛かった。眩しかった。
先が見え、夢に届く。そんな領域に上野は存在している。

悔しい。

音楽の道で、生きていけるなんて。

羨ましい。

妬ましい。

「そっか。良かったね」
「うん!」

吐き捨てるような言葉も、受け手側が悪意を持っていなければ意味はない。
純朴な笑みで返事をする上野を見て、和奏の心は更にザラついた。

ふいに、感情が言葉になって胸から競りあがってくる。
喉を、声帯を通過したその嫉妬は、間違いなく暴言となるだろう。




21:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:07:39.93ID:6bSPf8qy0
流されるまま、口を開きかけたその時だった。

「ひっ!?」

和奏は、小さな悲鳴をあげた。隣の上野も、同じように口に手を当て驚いていた。
突然、二人の視界の下方から何かが飛び出してきたのだ。
敵意も攻撃意識も持っていないことは理解しても。認知できないものがいきなり出てくれば、誰だって驚く。

「……」

体感にして数秒、実働時間にして1秒に満たない沈黙の後。
割り込んできた『それ』は、嬉しそうに声をあげた。

「やっぱり! 和奏に、上野さんだ!」

楽しげに笑顔を振りまく、自分の胸元ぐらいの身長の少女。
腰まであった癖のある栗色の髪は、肩の辺りで切り揃えられていた。




23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:11:12.94ID:6bSPf8qy0
「来夏……?」
「宮本さん!」
「うん、そうだよ! 久しぶりだね、二人とも!」

割り込んだ人物は、宮本来夏という名だった。
今は廃校になってしまった和奏の母校、白浜坂高校合唱部の最後の部長である。

小学校高学年程度の身長しかなく、プロポーションも決して良いとは言えない。
それでも、持ち前の明るさや実直さで、男女問わずに秘かな人気を得ていた女性だ。

「こんなところで会うなんて思ってもなかったー。今二人とも帰りなの?」

能天気とも無神経とも、どっちとも取れそうな言葉に表情。
メールのやり取りはしていたが、実際に会うのは数年ぶりだった。

変わらない。

「宮本さんは?」

頷きながら、上野が質問をする。

「サークルの帰りなんだ。さっきまで歌ってたんだよー。たまたま、こっちまで来る用事があってさ!」
「サークル?」
「合唱サークルなんだ! ま、もう引退しちゃったから、OGとして遊びに行っただけなんだけどね!」
「へー、宮本さんも歌、続けてるんだ」
「うん。約束だからね、紗羽との」




24:ぐう聖×  ぐう女神○:2012/10/10(水) 19:15:08.40ID:6bSPf8qy0
紗羽。沖田紗羽。来夏と同じく、元合唱部の一員。和奏の大事な親友の一人。
騎手になる夢を諦めたくなくて、海外に留学をし、今は念願の乗馬学校に通っているそうだ。
ライセンスが取れたら、日本に帰ってきたい。納得できるまで。
言い聞かせるように、自分たちに話してくれたことを、和奏は鮮明に記憶していた。

きっと、誰よりも親友の間で遠くにいってしまった人。
最近は忙しくてメールも偶にしか返ってこない。元気にやっているのだろうか。

「和奏は?」

物思いにふけっているうちに、二人の会話は終わったようだ。
流れるように、来夏が和奏へと質問をする。
今後について聞いているのか、それとも現状の話なのか。
少し迷ったが、比較的口にしやすい方の返答をすることを選ぶ。

「私も、今帰りだよ」
「良かった! じゃ、どっか寄っていかない? あたし晩御飯まだなんだ!」
「え……」

外食が嫌いなわけじゃない。むしろ、利用することも多い。
だが、今はそれどころじゃないのだ。単純に忙しい、切羽詰まっている。
そんな時に、無駄な時間を浪費したくない。どうせ、身の上の話をするだけなのだ。
だったら、メールで良いじゃないか。電話でもいい。とにかく、今は今の時間を使わせてほしい。




26:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:18:10.62ID:6bSPf8qy0
「来夏、その……」
「あ、ちょっとごめんね」

和奏が切り出そうとした時、上野の携帯電話が鳴った。
急いで取った所をみると、重要な電話なのだろう。二人から離れ、会話をしにいってしまった。

「ごめん和奏、何だっけ?」
「うん。その、私いま結構忙しくて……」
「そうなんだ」
「だから、外食はちょっと困るっていうか。時間かかるし……」
「……なんだか和奏、元気ないね」
「え?」
「まるで、昔みたいだよ?」
「……」

そんな。
そんなことはない。

和奏は心の内で、ひたすら反芻する。自分に言い聞かせるように。

あの頃と違う。好きなものに、一番近い環境で、好きなことをやっているんだ。
退屈そうに見えるのだろうか。全てが無気力に写るのだろうか。




27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:21:18.94ID:6bSPf8qy0
「ごめんね、宮本さん、坂井さん。ちょっと用事はいっちゃったから……」
「そうなんだ……。じゃあまた今度行こうね!」
「うん」
「連絡するから!」
「うん。ありがとう。それじゃ」
「ばいばーい!」

小さく手を振り、和奏も別れの挨拶をする。
あの嬉しそうな笑顔は、きっと先ほど言っていた希望進路先についてのことだろう。
順風満帆な人生。楽しげなのは当然だ。

「……ね、和奏」
「なに?」
「外で食べるのがダメならさ、和奏の家に行っても良い?」
「え?」

 ――――――――

「あんまり綺麗じゃないけど……」
「お邪魔しまーす」

乱暴に靴を脱ぎさる来夏。しかし他人の家と気づき慌てて整えた。
落ち着きのなさは変わってないな、と思いつつ和奏は部屋の先に進んで行く。




28:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:25:01.34ID:6bSPf8qy0
「あ、ピアノ!」
「来夏、あんまり大声出さないでね」
「おっと、失礼」

来夏は両手を使い、口をふさぐ仕草をする。
家探しでもするように、キョロキョロした動きを止めない。
狭いながらも数年は利用している我が家を、そうやって見られるのは、友達といえ余り良い気分ではない。

「実家の方とはちょっと違うね」
「必要な物だけ置いてるから」
「そうなんだー」

荷物を置きながら、和奏は冷蔵庫の中を確認する。
買い置きの惣菜や作り置きしたものがいくつか、米は冷凍のものがある。
それらを組み合わせれば、少なくとも料理に見えるだろう。

「来夏、簡単なのでもいい?」
「もっちろん! あ、何か手伝わなくてもいい?」
「良いよ。座ってて」
「はーい」

特製ダレに漬けておいた鰤を取りだし、サラダ油を引き、焼いていく。
混ぜ合わせた調味料の匂いが、和奏の鼻腔につくと、ふいにお腹が鳴った。調理音で来夏には聴かれていないだろう。
その間に、電子レンジで米を解凍しておく。更には、インスタントの味噌汁を作るために、二つ目のコンロでお湯を沸かす。

今日は特にまな板は使わない。作業スペースの上に、あらかじめ配膳皿を準備して完成を待つことにした。




29:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:29:14.80ID:6bSPf8qy0
この時間も、和奏は有効に使う。焦げ付かない程度に、視覚は軽く注意を払うだけ。他の感覚は、作曲へと注がれる。
聞こえていた生活音が周囲から消え去り、頭の中で作られたフレーズが流れていく。
全体のイメージを再度掴むため、前奏からしっかりと再現。しかし、すぐに壁に当たってしまう。

その壁は、まだ作られていない譜面。真っ白な、けれど真っ黒な穴のような箇所。
曲の動き、印象を残しつつ、そこに当てはまりそうなピースを和奏は模索する。

「……和奏!?」
「え?」
「なんだか焦げ臭いけど、大丈夫!?」
「あ!」

途端に現実感が押し寄せてきた。目の前の鰤は煙を上げており、やかんは騒音を響かせている。
電子レンジからは、早く自分を取り出してくれと言わんばかりの音を発していた。

慌ててフライパンから魚を取り出す。若干焦げ付いてしまったが、何とか大丈夫だ。
その隙に火を一旦全て停止させる。電子レンジの中身を、交換し二人目の分の白米を加熱し始めた。

「ごめんね来夏、ちょっと焦げちゃった」
「だいじょーぶだよー。でも、どうしたの?」
「ううん。何でもないから。ちょっとボーっとしちゃって」
「そっかー。気を付けてね」
「うん」

明るい返事を聞いて胸をなで下ろしつつ、和奏は調理に戻った。
こんな状態では、作れるものも作れない。
苛立ちと諦念のため息をつき、冷蔵庫から作り置きのきんぴらごぼうを取り出した。




30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:32:54.37ID:6bSPf8qy0
 ――――――――


「お待たせ」
「おほー! いい匂い! やっぱり和奏って料理上手なんだね!」

目を輝かせて、来夏はテーブルから身を乗り出す。
食べてもないのに、まるで食べた後のような感想を耳に入れつつ和奏も着席した。

「いただきます」
「いっただっきまーす!」

ふと、誰かとこうやって食事をとるのは久しぶりだということに気づく。
嬉しいような、懐かしいような。
けど、やっぱり自分の時間を削られた感覚が嫌なような。
煮え切らない感情を覚えつつも、和奏は味噌汁を啜る。

「ねえ、和奏」
「ん?」
「さっき、ちょっとだけ歌ってた?」
「え?」

さっき、というのはいつだろう。上野と会う前か。いや、その時にそんな余裕はなかった。
と、いうことは食事を作っている時だろうか。
多分、作曲イメージをしている時に、無意識でフレーズを口にしていたのかもしれない。




31:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:36:22.12ID:6bSPf8qy0
「聞いたことない曲だったし……もしかして和奏の作った歌?」
「……うん。私、作曲コースだから」
「そうだったんだ! うん。良い歌だね」
「そうかな」

お世辞だろう。
比較をするのであれば、母と共に作った歌の方が完成度が高い。
元々あの曲だって……。
ベースを、あれだけの心を動かせる母、まひるが作っていたから。
自分も関わっていたとはいえど、到達域に達したとは思えないのだ。

「やっぱ、和奏は音楽好きだもんねー。ね、卒業したらどうするの? やっぱ、作曲家?」

まくしたてるように、夢を語る来夏。
相変わらず、デリカシーがないというか。聞きにくいことをサラッと聞いてくる。
言いたいことを、言わないで後悔するより言って後悔した性格だからだろう。

「まだ、わからない」
「へ?」
「音大に入ったからって、みんながみんな作曲家や歌手になれるわけじゃないんだよ」
「そうなんだ……。でも、和奏なら大丈夫だよね? だって、素敵な歌作れるもん!」
「ッ!」




32:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:39:38.59ID:6bSPf8qy0
根拠が感じられないような、励ましの言葉。
今、自分がどれだけ苦しんでいるかもわかっていないくせに。

「来夏は? 卒業したらどうするの? 就職先は?」
「あたし? あたしは、この前やっと内定もらえたんだー」
「……へえ」
「でも年間休日がちょーっと少なくてさ、土日休みなのはいいんだけど……」
「だけど?」
「うん。あたし、大学卒業しても、やっぱり歌うことを続けたいんだ。和奏みたいに、立派なものじゃないけど。
 小さな舞台でも、自分の力で自分の歌で、聴いてくれる人に思いを届けたい。そう思ってるんだ。」

照れくさそうに来夏は笑った。
それはとても良いことだと思う。好きなものを好きなまま続けられるのだから。

「そっか。良いね、来夏は」
「和奏ほどじゃないよ~。好きなものを極める為に、専門の大学入るなんて、あたしにはとてもとても」
「……」
「あたし、いつか和奏の歌が聞ける日を楽しみにしてるね!」

屈託のない、裏表のない笑顔が。
やけに癇にさわった。

「……簡単に言わないでよ」




35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:44:05.29ID:6bSPf8qy0
「え?」
「世の中には、私よりもっともっと凄い人がたくさん居るの。
 その中で、揉まれて、負けないように、一日一日、一分一秒を音楽に捧げてるんだよ。
 凄い人たちに、置いて行かれないように必死なの。わかる?」
「和奏……?」
「お気楽でいいよね、来夏は。歌を、ただ歌いたいままに歌えればいいんだもん。
 私は、もうそれだけじゃダメなの。そこから先の、更に高い領域に足を踏み入れちゃったの。
 だから、好きとか嫌いとか。そんな気持ちじゃ、絶対に上手くいかないんだよ!」
「……ど、どうしたの?」
「あ……。……ごめん」
「……ううん。こっちこそ、ごめんね。適当なこと……言っちゃって」

ついつい、喋ってしまった本音。憎しみや妬みを、関係のない親友にぶつけてしまった。
気まずくなりかけたその時、来夏はそそくさと食事を終えると、立ち上がって、言った。

「お邪魔しちゃったみたいだし、今日はもう帰るね」
「え? 電車は大丈夫なの?」
「うん。ここから駅まで時間かからないでしょ? 乗り換えちゃんとやれば、まだまだ全然帰れるから」
「そっか……」

少しさみしいような。でもホッとしたような。
もやもやを胸に秘めつつ、和奏も食事半ばで席を立つ。退室しようとする、来夏を見送るために。




36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:48:15.99ID:6bSPf8qy0
「……ね、和奏」
「ん?」
「また、会いに来ても良い?」
「え……」

玄関で靴を履きながら、来夏は背を向けつつ言う。

「ううん。和奏が嫌って言っても、絶対また来るから。連絡するから」
「……」
「だから、和奏も頑張ってね!」
「……うん。ありがとう」
「それじゃ、遅れると危ないから。ばいばい」
「ばいばい」

扉を閉め、視界に小さな頭が入らなくなるその時まで。
来夏は振り返ることなく、別れの挨拶をして去って行った。

「……」

残された和奏は、申し訳なさを覚えつつも、為すべきことを思い出しリビングへと戻る。
食器を片づけ、食休みもろくに取らず、机を作曲仕様に変えた。

やはりまだ、壁は和奏の前から動いてくれない。




37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:52:28.12ID:6bSPf8qy0
 ――――――――

「はぁ……」

数日後の明け方であった。
大学4年生、内定も既に取得している宮本来夏は、珍しく早起きをした。
理由は、とあるものを待っているから。

周りの使用者に合わせるため購入したスマートホンを持ちつつ、眠気と戦いながらひたすら待っていた。

「!」

不意に、携帯に備わっている着信音とは別の音が鳴った。
手馴れた手つきでタッチパネルを操作し、来夏はマイクへ向かって声を出す。

「あ、紗羽!?」

来夏は、和奏をよく知る人物だった。
それは現在海外の乗馬学校に通っている、親友の沖田紗羽による着信を待っていたのだ。
無料で海外の対象者と通話の出来るアプリは、来夏が機種変更をしてもっとも嬉しかった機能なのである。

「あ、来夏。そっちじゃ、今はおはよう、かな?」
「うん。そっちは、こんばんは?」
「そうだね。それで、どうしたの?」

ちょっと話したいことがある。大事なこと。そんな、短く簡素なメールを送ってすぐである。
紗羽はじゃあ今度、電話をしようと返信してくれた。
時差の関係もあるので、それを考慮して。とても距離の遠い、不思議な待ち合わせ。




38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:55:48.96ID:6bSPf8qy0
「うん。あのね、和奏のことなんだ」
「和奏? 和奏がどうしたの?」
「あのね、それがさ……」

来夏は、昨日自分が感じた、今の和奏のことを親友へと話した。

好きなことをやってるはずなんだけど、辛そうで、大変そうで、忙しそうで。
まるで、転科してきた頃みたいで。なんだか寂しい。

「そりゃ、来夏が子どもだからじゃ?」
「ナンダト?」
「そんないつまでも、何も変わらない方がおかしいよ。誰だって、ちょっとずつ大人になるもんだし。
 子どもみたいに、好きだからやる。ってだけじゃ、難しくなってきちゃったんじゃない?」
「和奏も、同じようなこと言ってた……。やっぱ、あたしが変なのかなー?」
「……でも、だからって、問題だよ。それは」
「え?」
「和奏、きっと大切なこと忘れちゃってる。だから、今辛いんだと思う」
「大切なこと……? なに?」
「それは……んー、来夏でも良いけど、ちょうど適任が今いるんだよね。そいつにちょっと相談してみる!」
「?」


 ――――――――


「ね、和奏。今度の日曜日空いてる?」
「日曜日?」




40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 19:59:30.63ID:6bSPf8qy0
少しの期間をおいて、来夏は和奏へと連絡を取った。
制作発表まで、まだ時間はある。とはいえ、せっかくの日曜日を潰したくない。
来夏の誘いだ、きっと息抜きにでも遊ぼうとか、そういったことだろう。
察した和奏は、ため息を混じらせつつ電話越しに断り文句を言った。

「ちょっと今忙しいから……ごめん」
「……本当に?」
「……」

来夏の声に、真剣さが混じった。
ふざけているようで、明るく振る舞っているようで、能天気なのだけれど。
来夏は、やる時はやってくれる。考えつかない行動力に驚かされたことも、しばしば。
だから、その真剣さが伝わるということは……それだけ真面目な話なのだ。

「……どうして?」
「うん。和奏も、きっといい刺激になるかな、って思って。……ちょっと不安はあるけど」
「?」
「とにかく、日曜日の午後は空けられる?」
「だから、どうしてかを教えて」
「……同じ合唱部だった、田中。覚えてる?」
「うん、もちろん。バドミントンでしょ?」
「それそれ。その田中がね、今週の日曜日にインカレ、大学の全国大会に出るんだって」
「へえ。やっぱり強いんだね」
「だから、その応援に行かない?」
「え?」
「和奏にとっては、関係ないことかもしれないけど……。でも、絶対無駄にはしないから!」
「……」
「だから、行こうよ!」




42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:03:50.37ID:6bSPf8qy0
 ――――――――

日曜日の昼下がり。早めに昼食を終えた和奏は、大きな体育館の日陰で来夏を待っていた。
押しに弱い和奏と、押しが強い来夏。優位なのは、やはり後者なのだ。
約束の時間より、少し早めに来ていたがどうやら来夏はまだ到着していない模様。

空は真っ青に染まっていて、雲一つ存在しない。
不意に和奏は両手を空にかざしてみた。天からアイデアでも降ってこないかな、と淡い期待を込めて。
けれど、それは徒労に終わる。走光性の昆虫じゃあるまいし、と和奏はため息をついた。

降り注ぐ日差しと、にじみでる汗が頬を辿る。眼鏡の蔓に汗が溜まって鬱陶しい。
一度外して、顔を拭い、再度元に戻した時だった。

「やっほー」
「うわっ!? 来夏!?」
「そっ、そんなに驚かなくてもいーじゃん」

笑顔からむくれた顔の変遷を見事にやってのける来夏が、いつの間にか目の前に立っていた。

「遅かったね」
「少し用事があったからねー。じゃ、行こうか!」
「うん」

学校の小さな体育館とも、音楽のコンサート会場とも違う雰囲気。
最高のパフォーマンスを、みんなが、誰でも見られるような構造の体育施設だ。




43:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:06:40.15ID:6bSPf8qy0
施設の大半であるコートの中では、シャトルを打ち合う学生が数名。
たったの数名だ。人口が決して多くはないバドミントンと言えど、たかだが数名にまで絞られてしまっている。
その場所に足を踏み入れる為、一体どれだけの人が白線の中で膝を落としたのだろうか。

コート上階にある見学者用の、少し硬い席に座って来夏と和奏は観戦を始める。
田中が所属している大学の部旗はあるが、当の本人たちは見かけない。
試合の準備をしているのだろうか。

「あ、来た来た! あのユニフォームだよ、田中の大学」
「……あ、来夏。田中、居たよ。後ろから二番目」

短髪にヘアバンドのスタイルは変わらない。
高校時代よりは、体躯が良くなっているのが遠目でもわかる。少し日にも焼けていた。
多少の変化はあれ、二人はすぐに視認できた。かつての友人を。

コートに入る前、田中はウォームアップをしつつもキョロキョロと周りを窺っていた。
そして、その動きは一点を見つめると停止する。
完璧に見えないけれど、わかりやすい。表情が笑顔になり、手を振っていたのだ。
無論、和奏と来夏に向けてだ。

「手、振ってるね」
「うん」

二人も振りかえすと、田中は他の部員に軽く頭を小突かれ、問い詰められてしまっていた。
なんだ? 彼女か? え、友達? うそつけ! 後で紹介しろよ?
なんて会話が見て取れる。リラックスは出来ているようだ。




44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:10:38.59ID:6bSPf8qy0
「がんばれー!」

来夏が応援をする。和奏は黙って、コートを見るだけだった。

田中は、やりたいことを、好きなことを、ただひたすら修練してこの域に達した。
並の努力ではなかっただろう。今このコートに立てるのは、大学生の中でたったの数名なのだ。

凄いと思う。そして、やっぱり羨ましく……嫉妬を覚えてしまう。
和奏は自分の感情が不安定なことを自覚しつつも、そう思わざるを得ないのだ。

道は違えど、何かを修めようと進んだ道。田中は、多分誰よりも先にその領域へ踏み入れた。
だから、妬ましさが出てくるのだろうか。高校時代を、まだ誰も何者になれなかった時期を、見てたから。

陰鬱な気持ちに入りつつある和奏だったが、それでも時間は進んで行く。
田中はいつの間にか、中央のコートで相手と対峙していた。
今日の試合は、準決勝から決勝までを一気に行う日。これはその第一試合。

「……わっ! ああっ! もー、ダメじゃん田中! 完全に押されてる!」

隣では来夏が自分だけの世界に入ったかのように実況している。
その無意識な言葉の通り、田中は苦戦を強いられていた。

いつぞや、合唱部とバドミントン部の存亡をかけて戦ったことはあったが。
その時よりも、全然動きが違う。
速く、強く、上手くなっている。素人目でもわかるくらい、成長していた。




46:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:13:48.53ID:6bSPf8qy0
けれど、勝てない。点数の優勢をつけられない。
上手くなって、強くなったのに。相手のが一枚も二枚も上手なのだ。

後がない状態で、執念の1セットを奪取するも、その後接戦の末に敗北。
田中はベスト3という結果で、大学生活最後のバドミントン大会を終えた。

「……ねえ、来夏」
「ん?」

外はすっかり夕暮れ時であった。
来夏は応援に夢中だったので、若干声がしわがれている。

「どうして、田中の大会を応援しようって言ったの?」
「ん?」

来夏はすっとぼけた表情で返事をした。
まさか、何も考えていなかったのだろうか。単に、気晴らしに誘うために?

「……そろそろかな」
「え?」
「宮本、坂井!」

聞きなれた声が後ろから届いた。
振り返り、その存在を確認する。

遠くで見た時より、はるかに大きく見える身体。
浅黒くなった肌と対照的な白い歯を見せるその人物は、間違いなく田中大智であった。




48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:18:00.03ID:6bSPf8qy0
「久しぶりだな」
「ういーっす! ベスト3おめでとー!」
「サンキュ。……ま、ホントは優勝したかったけどな」
「……お疲れ様」
「おう」

体育館へと続く階段の途中で、田中は腰をかける。
ほのかに香る制汗スプレーの匂いが和奏の鼻へと入ってきた。

「……ん。坂井、眼鏡だったっけ?」
「あ、うん。最近ね」
「そっか。でも、なんか大人っぽくなったな」
「そうかな」
「ねーねー、あたしは?」
「お前は、相変わらずだな。身長も、何もかも」
「なんだと?」
「ま、そこが宮本らしくて良いけどよ」
「……なんか複雑。それ、褒めてんの?」
「いいや」
「おいっ!?」

じゃれ合う二人を、和奏は目を細めて見つめる。
そうなんだ。二人は変わらない。変わっていない。
あの頃も、やりたいことをやりたくて、やり遂げようとしていた。だから、輝いて見えたんだ。




50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:21:54.83ID:6bSPf8qy0
「……なぁ、坂井」
「ん?」
「沖田からさ、ちょっとだけ話を聞いたんだ」
「紗羽から……?」

何で、突然紗羽の名前が?
チラッと視線を水平……から、少し下に向ける。
来夏が、ニコッと笑っていた。出所はここだろう。

「ああ。ま、詳しくはわかんねーけど。でも、何をすりゃ良いのかだけは、ちゃんと聞いてきたからさ」
「うん……」
「……まー、そのな。つっても、単に俺が今、どういう気持ちでバドミントンやってるか、ってことなんだけど……」

少し照れて、頬をかく。本心を伝えるのが苦手なのも、相変わらずだった。

「俺さ、バドミントンが好きだからやってんだ」
「うん」
「好きで、やりたくて、成りたい姿に憧れてたから。だから、やってる。
 でも、それでも、今日の俺は三位だった。
 大学生活、最後の大舞台で、俺は優勝を取れなかった。」
「うん。知ってる」
「はは。相変わらず直球だな。
 ……正直言えば、俺も小さい頃からやってるしさ。その、やっぱ多少は自負してんだ。強い方じゃねーかな、って」
「うん」
「でも、上には上が居て。試合して、ああ、勝てないんだ、ってわかって……すげー落ち込んだ。
 ずっと昔からやってるのに、何で上手くいかねーことってあるんだろ、って」
「うん」
「でもな、坂井」
「ん?」




52:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:25:32.57ID:6bSPf8qy0
「それで俺は、バドミントンすることを諦めたりはしない」
「……」
「だって、俺、バドミントン好きだからさ。やりたいから、夢があるから。だから、続けるんだ!」
「……そっか」
「ああ。一応、社会人入っても続けられる手筈は、もう整ってるしな。
 続けるぜ、バドミントン」
「……タナカクン、カァッコイー!」
「んーな時に茶化すなチビ!」
「あはは。ごめん、ごめん」

好きで、やりたくて、夢がある。だから、あきらめないで、続ける。
田中の、真っ直ぐな思いは和奏の心に間違いなく、届いていた。

「田中」
「ん?」

来夏のほっぺたを両手でひっぱりながら、とぼけた顔をして田中が振り向く。
来夏も、田中も。なんだかおかしくて。
和奏はちょっとだけ笑い、そして言う。

「ありがとう」




53:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:29:28.57ID:6bSPf8qy0
「おう、こっちこそ。応援しに来てくれて、ありがとな。遠かったろ?」
「ううん。そんなことないよ」
「よひ、ひゃー、おへーとひて、けーひをおほって!」
「誰がケーキなんか奢るか! あ、俺そろそろみんなと合流しねーといけねぇから」
「うん。お疲れ様」
「おう。んじゃな。頑張れよ」
「うん。ありがとう」

大学に入り、更にスポーツマンらしく爽やかになった。そういう印象を受ける。
小走りなのに、やけに速いスピードで田中は部員の下へと戻っていった。

「……よし、あたし達も帰りますか」
「そうだね」

広い空が眼前には展開されている。夕焼けを見て、和奏は久々に物寂しさ以外の感情を覚えた。
それから、今日のことを記憶に刻むように。いっぱいの空気を吸い、前で揺れる小さな背中を追った。


 ―――――――

その日の天気は荒れ模様だった。
朝型、晴れていたので洗濯をしてから家を出た。講義中に、大雨が降って和奏は肩を落とす。
移動時には太陽が顔を出したので、わざわざ傘を買う必要もない。
と思っていたのに、帰宅時にはまた豪雨が襲ってきた。踏んだり蹴ったりである。




54:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:33:28.07ID:6bSPf8qy0
慌てて部屋に戻り、風邪予防の為にシャワーを浴びた。
肩にタオルをかけたまま、和奏はピアノ席に着く。
汗で眼鏡がずり下がるので、一度顔を拭いながらも、気持ちを入れ替えた。

もう、余り時間がない。
実習の発表の期間が迫っている。
それにもかかわらず、和奏の楽譜はまだ白い。五線譜がどこまでも続いているような錯覚に陥る。

来夏や田中のおかげで、和奏は少しだけ平静を取り戻せた。
けれど、結局は一時的なもの。夢みたいな感覚。
実際にやってくる現実の重さは、そんな簡単には覆せなかったのだ。

ペンを置き、和奏は電子ピアノの電源を落としてカバーをする。
そしてそのまま眼鏡も外さずに、突っ伏した。

「……ダメだ」

言葉にしてしまうほど、切羽詰まっていた。
考えても、繋がらない。見えそうで見えない、届きそうで届かない。
やらなきゃいけない、という焦りは、更に和奏から、音楽を消し去っていく。

天井に響く激しい雨音のみが部屋を満たしていた。
とりあえず、喉が渇いた。思い立ち、冷蔵庫の中にあるお茶を取り出そうとした時だった。




55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:36:49.24ID:6bSPf8qy0
「?」

鼻から少しずり落ちている眼鏡を、しっかりかけ直し確認する。
そういえば、慌てて戻ってきたから見てなかったのだ。ポストに届いている郵便物を。

そこに、見慣れない封筒が入っている。
チラシや水道料金の請求書にまぎれていても、はっきりとわかる異端さ。
赤と青のラインが手紙の縁を覆うようなデザインのそれは、どこかで見覚えがあった。

「……これ……!」

和奏は急いでそれを取りだした。
差出人にも、宛先にも書かれているその文字は、和奏には解読できなかった。
見慣れない異国の文字。
けれど、見たことのある筆跡だった。

かろうじで読めた、たった一つの名前。

マエダ アツヒロ

和奏は焦るように、しかし丁寧に包装を剥がした。
出てきた手紙は、幸いなことに日本語だった。




56:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:40:16.65ID:6bSPf8qy0
『親愛なる和奏へ
 久しぶりだね。元気かな。西之端ヒーローショウテンジャー、ニクレッドの、ウィーンです。
 僕は今、日本から遠く離れた国で通訳の仕事をしています。
 日本のアニメーションを日本語に翻訳したり、声を吹き込んだりする仕事です。
 実際に僕が出演することは出来ないけれど、立派なヒーローの仕事の一つだと思ってます。
 和奏は、今どうしてるかな? 音楽の道を進んで行くと聞いて、僕たちはみんな喜んだよね。
 素敵な歌を作れる和奏なら、きっともっと素敵になれるんだろうなぁ。
 大変なこともいっぱいあるけれど、辛くなったり、悲しくなった時は、いつもあの歌を聞いて
 みんなのことを思い出して、頑張っています。
 僕ももちろん、みんなを応援してるよ。
 また、日本に帰る予定があったら連絡をします。そしたら、もう一度』

最後の文章を、和奏は声に出して読んだ。


無意識だった。でも、音に出したかった。



「一緒に……『楽しく』歌おうよ……」




57:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:44:20.05ID:6bSPf8qy0
何度も読んだ。読み返した。

そうだ。
そうだったんだ。
忘れていた。大事なこと。

「私……」

感情が堰を切ったようにあふれ出てくる。
つっかえていた何かが、身体へ影響を及ぼし始めようとした、その時だった。

インターホンが鳴ったのだ。
こんな時に、一体誰かと思った矢先に、扉の向こう側から声が飛んできた。

「和奏、居るー?」

その声が、耳に入ったと同時に和奏は扉を開けた。
知ってる声だったから。

「来夏……!」
「あ、良かった。居た!」
「俺も居るぞ」

来夏の笑顔の上に、田中の柔らかな笑みもあった。
驚きながらも、まずは雨で少し濡れていることを心配し、和奏は家に二人をあげる。
落ち着いたところを見計らってから、和奏は質問をした。




58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:47:54.83ID:6bSPf8qy0
「どうして……?」
「うん、それがねー。この前、田中が言い忘れたことあったから、って」
「それで、わざわざ?」
「電話でも良いけど……ま、せっかく、みんなが揃う機会だしな」
「え?」
「お、きたきたー!」

来夏の小さな鞄の中から着信音が鳴った。
だが、急いで取り出そうとして、手を滑らせてしまう。
それを田中が華麗にキャッチすると、勝手にパネルをいじり始めた。

「あ、ちょっと田中!」
「いーだろ、誰が取っても一緒だ」
「和奏ー! こんな小慣れたチャラ男なんて、田中っぽくないよねー!?」

思い切りがあると思いきや、恥ずかしがり屋な一面もある田中。
けれど、この大胆さというかサラッとした性格は、以前には見かけられなかった面だ。
下手に返答しても、両者どちらかが文句を言いそうなので、和奏は苦笑いで誤魔化す。

「うるさい。お、沖田か?」
「え? 紗羽?」




59:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:51:52.14ID:6bSPf8qy0
「ああ、俺だ。……おう。居るぜ、ちゃんと。代わるか?」
「田中、代わらなくていいよ。そっちのパネル押して」
「ん? ああ、これか。ほい、坂井」
「あ、うん」

突然、触ったこともない最新式携帯を田中から渡される、和奏。
画面には、沖田紗羽の名前と、紗羽が大事にしていた馬のサブレの写真があった。

《……和奏?》
「紗羽!」

久しぶりに聞いた声だった。
スピーカーがハンズフリーモードなので、みんなにも聞こえるようになっている。
そこから響いた声は、少しも変わっていなかった。

《久しぶり。メールとか、中々返せなくてごめんね》
「ううん。良いよ」
《その日の内に返さないとすーぐ忘れちゃうんだよね。今度からは気を付けるから、許してね》
「うん」
《ウィーンも、何か言う?》
「ウィーン?」

どういうことなのだろう。考える間もなく、雑音の後に声が切り替わった。

《和奏? 僕だよ。久しぶりだね》




61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:55:56.99ID:6bSPf8qy0
「ウィーン! なんで?」
《仕事の関係でね。紗羽の居る場所から、そんな遠くない場所に配属されたんだ。
 今は休暇中で、旅行がてらに紗羽の所に寄ったんだ。
 そしたら、和奏が大変だって聞いて、馳せ参じたわけさ!》
「あはは。何それ……」
《和奏、手紙は届いた?》
「うん。読んだよ。ありがとう」
《そっか。なら良かった。紗羽、僕はもう大丈夫だから、後は紗羽が》

言葉は既に、手紙に綴ってある。ウィーンはそう考えて、電話を紗羽へと受け渡す。

《はいはい。あ、和奏。今度は、わたしね》
「うん」
《和奏、今大変でしょ?》
「……うん。それなりに」
《実はね、わたしもけっこー大変なんだ!》
「うん。知ってるよ」
《えー、知ってるの? ……ま、いいや。わたし、和奏にどうしても言いたいことがあってさ》
「言いたいこと……?」
《うん。来夏から色々聞いただけだから、ちょっとずれてる所はあるかもだけど》

また来夏か。
和奏は軽く睨むように来夏を見る。
元凶は悪びれたように、頭を掻いて少しだけ誇らしげに笑っていた。




63:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 20:59:40.72ID:6bSPf8qy0
《わたしさ、今年やっと競馬学校に入れたんだ》
「語学の勉強が、思ったより大変だったんだよね」
《そ。文化も何もかも違うから、馴染むのに時間かかっちゃってさ》
「言ってたね」
《……なんて、みんなには明るく話したけど……》
「うん」
《本当は……死ぬほど苦しかった》
「!」
《自分で決めて、親にも迷惑かけて、無理やり進んだ道だから。後に引けないのは、覚悟してた。
 けどね、やっぱり苦しかったんだ。辛かった。遊びじゃないから》
「……」
《でも、ある日ね。パソコンのフォルダを整頓してたらさ……和奏の歌が出て来たんだ。
 みんなで歌った、あの歌。映像も一緒だよ》
「私の歌……」
《歌詞は全部和奏なんだよね。それが、ほんっとーに効いてさー。一番、好きだったのがココ》

『自分だけの速さで行こう』

「……」
《なんか聞いた途端に涙が出てきちゃって。ああ、そうだ。焦る必要はないから、しっかりやっていこう。
 なーんて、思えるようになったんだ。》
「……うん」




64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:03:10.50ID:6bSPf8qy0
《だから、わたしが今も頑張れているのは、和奏のおかげなの》
「……うん」
《ね、和奏》
「うん……?」

《今、楽しい?》

「……」
《わたし、今大変で、苦しくて、辛くて、泣きたいこともたくさんあるけど》

「でも、楽しんでやってる」

ふいに田中が後を継いだ。

「俺も、バドミントンが楽しいからやってんだ。それが言いたくてさ」
《ちょっと田中、わたしの良い所取らないでよ!》
「あはは。わりぃわりぃ」
「……でも、あたしもそう思ってる」

来夏は少し微笑みながら、けれど真剣な眼差しで和奏を見つめる。

「大変だから、苦しいから、辛いから」


「だから……楽しむために、好きなことを続けたい」




65:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:06:22.25ID:6bSPf8qy0
「……うん。」

和奏はいつしか、涙が抑えきれなくなっていた。
単調な返事は、もう心を抑えきれなかったため。

忘れていたんだ。

母の教えを。
みんなが教えてくれたことを。

「一人じゃないよ、和奏」
《音楽がある限り、僕たちはずっと一緒だ!》
「音楽って、音を楽しむって書くよな。バドミントンより、よっぽど向いてるじゃねーか」
《だから、和奏。楽しもうよ、音楽!》

「うん……うん!」

レンズに涙がしたたり落ちる。
それがなくても、あっても。既に関係はない。
結局のところ、もう今は視界は歪んで見えないから。




67:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:09:44.96ID:6bSPf8qy0
「ありがとう……ありがとう。みんな」
「……なんか、泣かせにきちゃったみたいだね」
《田中……女の子泣かすなんてサイテーだよ》
「俺のせいかよ!」
《大智、しらすホワイトは、心優しき人間が担う役のはずだったろう!?》
「なんで俺ばっかり……」

「あはは」

和奏は、自然と笑みが零れていた。
大変な時期を、辛い時代を、苦しい時を。
みんなと過ごせて。みんなと会えてよかった。

「……よし、じゃあ歌いますか」
「は? 何だよ宮本、いきなり」
《お。良いねー》
「こういう時こそ、歌を歌うもんなんだよ! ね、良いでしょ和奏」
「……うん。いいよ。でも、ここじゃご近所さんに迷惑だから……」
「おぉっけい! じゃ、近くの公園へゴーだ!」
「結局近所迷惑じゃねーか、それ」
「いーの! 節度ある歌声で、楽しく歌うことのどこがいけないのさ!」
「お前、本当めちゃくちゃなことばっか言うよな」
「行こっ、和奏!」




68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:13:13.67ID:6bSPf8qy0
差し伸べられた手を、和奏はじっと見つめる。
数年前、音楽の道から外れた時。
誘ってくれたのは来夏だった。

最初は鬱陶しくて、面倒で、迷惑だったけど。
一緒に歌おう、と言ってくれたのは嬉しかった。

「うん!」

けれど、今は来夏だけじゃない。

田中も、紗羽も、ウィーンも。みんな居る。繋がっている。

ああ、そうか。

音楽は

歌は

こうして、いつも傍にあるものなんだ。

だから、いつでもどんな時も。みんな一緒なんだ。

雨はいつの間にかあがり、大きな虹が空にかかっていた。




69:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:16:32.08ID:6bSPf8qy0
 ――――――――

大学へ向かう途中、和奏は肩を叩かれた。
おずおずとした、遠慮がちなその行為の主は上野だった。

「坂井さん」
「ああ、上野さん」

振り向いた笑顔が余りにも眩しくて、上野はしばし狼狽する。
今までの口数の少なさからはイメージできなかったからである。

「ちょうど良かった。ね、上野さん。作曲って、したことある?」
「え? うん。ちょっとだけなら」
「そうなんだ。あの、良かったら少し相談に乗ってくれないかな。色々意見とか、聞いてみたくて……」
「……うん。もちろん。私で良かったら」
「ありがとう、上野さん」

手を取り、嬉しそうに和奏は笑う。
その瞳はきらきらと輝き、未来へ、先への希望に……。

いや、それはまさしく純粋だった。
子どもが初めておもちゃを買ってもらったかのように
ただ、ひたすら。楽しいことへのあくなき欲求。
無邪気さだったのだ。

「……ねえ、坂井さん」
「ん?」
「前から思ってたんだけど、坂井さんって……」




70:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:19:52.64ID:6bSPf8qy0
 ――――――――月日は流れ。



「せんせー!」

夏に差し掛かる季節だった。
職員室へ戻る途中の渡り廊下で、自分の受け持つクラスの女子生徒に呼び止められる。

「なんですか?」

厳かに、もったいぶって眼鏡の鼻当てを押し上げて、テンプルの位置を調整する。
かつて、こんな仕草をする怖い先生が居たことを脳裏に浮かべながら。

「先生、あの……あたし、今度の文化祭で、この歌がやりたいんです!」

額にうっすらと汗を浮かべ、息も浅いままに突き出した冊子は、覚えがあった。
『radiant melody』と書かれたそれを、受け取りながら目を細める。
数瞬だけ懐古をしてから、自分の立場をハッと思い出し、もっともらしく尋ねてみる。




71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:23:31.58ID:6bSPf8qy0
「何故、この曲を?」
「それは……。その、好きなんです。その歌が!」
「この曲は、遊びでやるような曲ではないんですよ。
 今はもう廃校になってしまいましたですが……とある高校の、最後の文化祭で歌われた曲です。
 このままでは自分たちは終わりたくないから。そんな気持ちで。あなたに、それほどの気負いや覚悟はありますか?」

女子生徒は少しひるんだ。そこまで重たい返答がくるだなんて、思っていなかったのだろう。
返答をした方は、何も悪気を感じていない。中途半端に、ただの遊びでやって欲しいものではないから。
だから、あえて厳しく接しているのだ。

「……先生には、たかだか文化祭の……遊びに見えるかもしません。
 あたしも、将来を考えて、歌をやってるわけでもありません。」

懐かしさに笑みどころか、涙がこぼれそうになるのを堪えつつ、次の言葉を待つ。

「でも、あたしは今歌いたいんです。今は、今しかないから。だから、今の気持ちを込めて、歌いたい!」

癖のある栗色の髪を揺らしながら、熱弁する年齢の割に小柄な女子生徒。
もう一度、眼鏡をかけ直す仕草をする。無意識に、じんわりと帯びてしまった涙を隠すため。

「やっぱり、そう言うんだね……あなたは」
「え?」




73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:26:47.21ID:6bSPf8qy0
「……良いでしょう、わかりました。やってみなさい」
「え! ほんとですか、和奏さん!」
「こら。学校では先生をつけなさいって、いつも言ってるでしょ」
「あ、ごめんなさい。……それで、あの」
「なんですか?」
「出来れば、その……やるからには、やっぱり本気でやりたいので。指導、をしていただけたら良いなー、って」

恥ずかしそうに、けれど本心で。生徒は言う。

「先生となら、きっと楽しく歌えると思うから!」

和奏は、それを聞いて嬉しそうに笑った。
何度も挫折して、間違ったこともあるけれど。もう、大丈夫。

「私は、音楽教師ですから」



だから



音を楽しく、伝えましょう。






おしまい




75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:28:58.27ID:6bSPf8qy0
長々とお付き合い&支援ありがとうございました。
いい加減ネタ切れしてきました。でも、また何か思いついたら突発的にやります。
ない、ない、と言っていますが、探せばTTのSSはあります。スクランとのクロスオーバーとかあって、面白いですよ。

実は……一回くらい……その……こう長ったらしいのを……やってみたくて……えっと……。




76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:37:00.60ID:6bSPf8qy0
追記:話の中に、radiant melodyの歌詞や情景がちょくちょく混ざっています。暇があったら、探してみてね!




78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:39:18.32ID:P3/tYwD70
乙!




79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/10/10(水) 21:39:33.07ID:OSRd3zCW0

先生か、作詞家になってても面白そうだな


転載元
http://hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1349861461/l50




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